過去の価値を上書きする新体操の妖精たち…村田由香里さんの描く「ノーミス」人生とは

過去の価値を上書きする新体操の妖精たち…村田由香里さんの描く「ノーミス」人生とは

ティンカー・ベルは、ディズニー映画「ピーター・パン」に登場するキャラクターで、人間の手のひらに収まるほどの小さな妖精。ものづくりの才能に恵まれたが、天分では憧れのメインランド(人間界)へ赴く資格が与えられないと知り、自己否定に陥った過去が、後年の映画「ティンカー・ベル」で描かれている。他者をうらやみ、メインランド行きへつながる別の能力を身につけようと悪戦苦闘し、失敗を繰り返しつつ、むしろものづくりに対する誇りを育んでいく。生き方は 可憐 な容姿に似合わず、どこか泥臭い。

チームの愛称に妖精の英訳を盛り込んだ新体操日本代表「フェアリージャパン」が、8月の世界選手権(独フランクフルト)で団体総合銀メダルに輝き、2028年ロサンゼルス五輪の出場枠を獲得した。これが、全競技を通じて日本勢一番乗り。若き“妖精”たちを束ねる日本体操協会の新体操強化本部長・村田由香里さんも、この美しさを追求するスポーツにあって、石につまずき、ぬかるみに足を取られ、大小の傷を負いながら歩き続けてきた。まっすぐに手を伸ばして追いかけているのは「一つひとつ、いつか振り返ったときに『あれは失敗だった』と悔やむ必要のない、『あれがあったから今がある』と胸を張って言える未来」だという。

「とにかく、じっとしていられなかった」幼少時の村田さんは4歳でバレエを習い始め、6歳のときにクラブの指導者から勧誘される形で、新体操界の門をたたく。素質は瞬く間に開花し、国内のトップを争うレベルまで駆け上がった。

17歳だった1999年5月の世界選手権代表決定競技会は、個人総合1位で代表入りを果たし、翌月の四大陸選手権も個人総合で頂点に立った。ところが、日本のエースは同年9~10月の世界選手権(大阪)本番、個人総合でまさかの予選落ち。2000年シドニー五輪の個人出場枠「2」を確保する算段だった日本は、出場枠「1」にとどまり、自責の念にかられた村田さんは個人での五輪出場を諦める。強化本部の方針もあって団体メンバーに加わり、複雑な感情を封印してチームのために尽力し、同五輪の舞台を踏んだ。04年アテネ五輪は念願の個人で代表の座を射止めた。

現役引退後の指導者人生も、まさに山あり谷あり。

長く日本代表の強化本部長を務めた山崎浩子さんが21年東京五輪限りで退任し、村田さんがバトンを渡された。東京五輪が新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、1年延期の開催となったしわ寄せで、24年パリ五輪に向けた準備期間が圧倒的に足りない。海外遠征で経験を積む機会も、渡航自粛の影響で十分に得られなかった。必死で追い込んだものの、日本は個人、団体ともに8月の同五輪へ出場する権利を逃した。

「すごく責任は感じましたし、『私がいることで停滞するのであれば身を引こう』と考えました。ですが、交代したら(東京五輪後の)3年間、苦しんで積み上げたものが生かせない。はっきり日本の長所と改善すべき点が見えてきて、『今がスタートラインだ』との手応えはあったんです。『選手がオリンピックに近づけるなら、私への批判が高まっても受け止める』と腹をくくりました」

再出発したフェアリージャパンは、しかし、さっそく壁にぶつかってしまう。

25年2月、複数の選手が合宿中の施設から逃げ出し、旗振り役の村田さんが一時的に強化の現場を離れる事態となった。体操協会の説明によると、「ガバナンス(組織統治)上の課題-組織体制、身体ケア、心理サポートを含むサポート体制についての要望-が顕在化した」。詳細に関しては、選手側も村田さんも公の場で述べておらず、今回の本稿のテーマにもそぐわないので脇へ置く。ただ、ある協会関係者は証言する。

「大ざっぱにまとめると、コミュニケーション不足が招いたトラブルでした。指導者と選手、指導者とスタッフ、それに選手同士……。『同じ目標を掲げていれば、細かいところまで言わなくたって伝わる』と決めつけていたのでしょう。みんなでコミュニケーションの重要性を確認し合って、実践して、チームは間違いなくいい方向へ進んだと思います」

日本は同年8月の世界選手権(ブラジル・リオデジャネイロ)で団体総合初優勝の快挙を成し遂げ、1年後にロサンゼルス五輪への切符をもぎ取ってみせた。

あらためて、村田さんの「あれがあったから――」は、着実に進行しているのか否か。

個人種目への未練にふたをして、団体メンバーでシドニー五輪に参加した時間は、指導者に転身して選手の適性を見抜く作業に役立っている。

唇をかみ締めて眺めるだけだった一昨年の8月が、栄冠に輝いた翌年の8月、そして歓喜を味わった翌々年の8月へ導いてくれた。

“脱走事件”でチーム崩壊の危機に直面し、乗り越えた過程は、強固な結束力を生み出すための糧になったと判断していい――。

フェアリージャパンは9月6日、東京都内で団体メンバーの選考会を開き、従来の8人から2人が外れて、新たに3人が名を連ねた。新メンバーらがメディアの取材に応じている間、村田さんはアリーナの片隅に立ち、落選した選手と一人ずつ言葉を交わしていた。

5分、10分、いや、それぞれ20~30分は話していただろうか。「努力は評価してあげたかったし、最も近い場所で見てきた者として、どうしても伝えておきたいことがあったので『あとで来てね』と呼びかけておいたんです」と村田さんが明かす。

「新体操を続ける環境でも、やめた後の人生でも、『あの日があったから、今の私がある』と言える未来を目指して、ずっと頑張ってほしいって」

さて、ティンカー・ベルの命の源は、自身の存在を信じてもらうことだ。映画「ピーター・パン2」で、主要人物の少女に「信じない」と突き放され、ティンカー・ベルは重い心の病にかかる。その命が燃え尽きる寸前で、信じる心を取り戻した少女の涙に救われ、息を吹き返す。

日本の新体操界で、首に五輪のメダルをかけられた選手はいない。ならば、我々はロサンゼルス五輪の表彰台に上がる“妖精”たちの姿を、まずは信じ切ってみようではありませんか。

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